リトルバスターズ !(アニメ)美魚回について

美魚ルートは生きていくことの素晴らしさ、死ぬこととはどのようなものかを明確なメッセージを持って伝えようとしている点において感銘を受けました。
それでは具体的にみてみましょう。
※原作等未プレイだったり全体の構造あんま理解してないので多少因果関係に誤りがありそうですが、構造はどうあれ考察に支障はないはずです。

まず彼女の人生について。内気な彼女は孤独な幼少期を過ごしています。そんなある日、生きていく中での孤独に耐えきれず、もう一人の自分を作り出します。それは内気な彼女とは正反対の明るい妹のような存在でした。これより彼女は、もう一人の自分との想像世界へ没入していきます。それは現実の人間からみれば、精神病以外のなにものでもありません。彼女は然るべき治療を受けた末、学生生活を送るなかで、すっかりもう一人の自分が失われていました。
しかしそんなある時、授業で短歌を読みます。それは周りに同調しないこと、孤独であることの美しさやありのままに生きていくことの素晴らしさを書いた短歌でした。すると彼女は封印していたもう一人の自分の存在を思い出すのです。
同時に彼女は自責の念を抱きます。それは周囲の目線を気にして、埋もれながらも他人と交わることができず苦しんで生きてきた弱い自分への嫌悪と重なるかのように現れました。すなわちそれは、かつて想像世界へ没入していた自分を無意識に排除していたことへの罪の意識です。事実彼女は幼少期にもう一人の自分に救われてきたのですから、そういった意識を持つことは何ら不思議ではないのです。
そして彼女は再び想像世界への旅を始めていくことになります。
そんな中で彼女は主人公と出会います。
主人公はこの世界で彼女と同じような孤独な幼少期を過ごしつつも、仲間達との出会いによって生の喜びを知り救われたと感じた一人です。なので主人公は彼女をみて放っておけないと感じることも当然といえば当然です。彼は彼女とふれあいリトルバスターズのマネージャーに勧誘することで、仲間達と過ごすことの楽しさを伝えようとします。それは結果彼女のこころに響きました。
しかしそれと同程度かそれ以上に彼女は孤高であることを愛していました。それは弱い彼女にとっての強さであり希望であることも事実でした。なので彼女は結局自分の中の想像世界へと吸い込まれていきます。
やがて世界は彼女の存在を忘れていき、主人公も忘れます。

しかしそんなある日主人公は短歌を見ます。彼女がコンクールに出した短歌です。それはかつて主人公が何気なく語ったことで、愛する人と過ごす楽しい時間を書いたものでした。とうとう彼は失われた彼女の存在を記憶から取り戻します。彼女の短歌から生へと留まりたいという彼女の意志を感じ取った彼は、彼女をこの世へと戻そうと試みます。
一方で想像世界の彼女はどうなったでしょう?
彼女は自身がずっと望んできた周りにトラワレナイ孤高の存在であった白鳥などではなく、黒い深海に漂うシステムの一部になっていたと思います。
なぜなら孤高であることの美しさ、人に染まらず生きていくことの強さは、海の青があってこそ、すなわち生によりはじめて実感され輝くものだからです。ゆえに彼女の求めてきた美学は死ぬことで今度は崩壊してしまったのです。なぜなら死や想像世界はおおよそ完全なものだからです。その完全さゆえに交わりも存在しなければ、必然的に孤立もまた存在しえないのでしょう。
彼女は完全であることの本当の意味での空虚さを認識すると、自分の不完全さを受け入れることによって彼女は自分の意志でこの世に戻りお話は完結します。
周りの人達との兼ね合いから折り合いをつけて、生を選ぶような話とは異なり、作中で自分と向き合う過程を通じて生を選択していることにはなかなか個人的な好感を持てました。
死や想像世界の完全さ故の欠陥、それが生でしか感じえない死への美学であったというなかなか面白いメッセージもあったかと思います。

さて大体話したいことはこんな感じです。
描写を振り返ってみてなにか新しい発見や、明らかな誤りがあったらまた書こうと思います。
皆さんも良かったら作品を軽く観た上で、ぜひ考えを聞かせて下さいね。
(美魚ルートのアニメは10~15話くらいですかね。途中日常回挟んでたような)
(いきなり10話からみても多分大丈夫です。というか僕も全体はまだよくわかってないから指示が適切かは不明デスケド)